お星さまのピアスに思うこと

講座にテストに飲み会に。怒涛の追い込みが少し落ち着きました。
あわただしい中とみに感じるのが、物事が目の前を通り過ぎていくという感覚。
もちろんそこで自分の感情も作用するのですが、どこか他人事。
そんな感覚の中で、同じ物事でも人の視点によって捉え方が変わるのだな。
と、実感する出来事によく出くわします。

それも誰かが大げさに言っているとかそういうことではなく、
皆ほんとに思うことを話してるだけ。
だからどの話を聞いてもなるほどなぁ。
この人にはそういうふうにこの事象は見えているのだなと思います。
それが自分に無い視点だったりすると、うぉ!と思ったり、感動することもある。
昔は自分と相反するものや相容れない内容に憤慨したりしていたこともあったのですが、
そういう意味ではずいぶん楽になったのかもしれません。

自分の意志。自分の思い。
無いわけじゃないけど、どうせ話しても伝わらないだろうな。と思います。
でも言葉にしないと始まらないので、言語化しようとしてみるけど、
やっぱり100%は無理なわけです。
基本にあるのは、やっぱり分かり合いたいという気持ちなのだけど、
他者へ向けてそれを発信することは、
相手を変えようとすることにもつながるよなぁと思い自重することが多いです。
そしてバランスを見て努力すれど、すれ違うと疲れるしむなしい。
下手をすると恨みを買う可能性だってある。
人からどう思われてもいいとはいえ、やっぱり不要な恨みは買いたくないものです。

そんなこんなで悶々としてたところがあるのですが、
伝わらない何%を諦めるのではなく、
個性として認めることが大事なのかなと最近思います。

違いを認めるという、ことは受容することとイコールですが、
ただ受け入れることとは違う。
主体性が無いと仮面を被ったような、
言わば臭いものに蓋状態になるから、
ワタシの心の中でひずみが生まれます。
私の中で、
「ただ受け入れる。」
というのは、主体性が無く、自分を認識していない状態のこと。
受容する。というのは、自分の表情を認識できた上でのアクション。

話がずれました。

まぁ、なんやかんやありますが、どうしたって伝わらないところはありますし、
身近なところで言えば私のヨガクラスにしても、
どうしたって私のバイアスがかかった状態でのガイドになってしまうので、
私の言うことを鵜呑みにせず、自分の感覚というものに重きをおいてください。
ということをまずお話します。
色々な流派・メソッドがありますが、今の私が思うヨガって、

不要なものを「削ぐ」作業
土台を「肥やし、固める」作業
メンテナンスや調整する作業

それらをマットの上だけでなく、生活の中で積み重ねてゆくことだと思っています。
基本微調整ばかりなので、地味なもんです。

個々が、個として持ち合わせている質を、
最大限輝かすことができるようにするというを目的にしていたことがあったけど、
それもただ結果でしかないし、誰かが誰かをコントロールなんてできないから。
私たちインストラクターができることは、
情報と体験する機会を提供するというサポートだけ。
どういうところで落としどころが見つかるか、広がっていくかは、
モンスターエンジンじゃないけど、

それこそ神々の遊びなので、つべこべ言わずにおやりなさいな。
と、この2~3年で言われたような気がしています。

その「練習する場所」を提供をするのが、私がやりたいことなのかも。

もうやってるやん。

と言われそうですが、ちょっと前の感覚とは違うんですよね。
なんやようわからんがやっている(やらされている)感じから、
自分の意志が加わった感じでしょうか。

ちょっとした希望を見出した感じがするこの日に、お星さまのピアスに出会いました。
タロットでは星のカードは希望を見出すという意味があります。

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希望を見失ったように感じるのも、
満ち溢れているように感じるのも、
それもこれもただの思い込み。

大事なのは、その出所が自分発信なのか外部発信なのかを見極めること。
内部発信だったらばそれがどういう質のものなのか観察すること。
そこが判明すると、たいていのことってどーでもいいことだったりします。
世界は私たちに均等に機会を注いでいるのに、
自己中心的な私たちはそれに気づかない。

時にギャップの大きさに無力感を感じることもあるけど、
その相違が多様性を生み、世界を賑々しくする。
私たちの豊かさの現れなのだなぁと思う昨今です。