ルーズであることとゆるさの違い

ゆるゆるの服ばかり着るようになった昨今。
ゆるゆるでもきちんと感も出せるようなものがクローゼットに増えました。

今、スタジオで半年間のシリーズクラスを開催していますが、
そこで目指しているのもゆるいけどちゃんとポイントは押えるということです。
ヨガの知識ってほんまにたくさんありますねぇ。
哲学・解剖学・微細体・食生活。
一見たくさんありすぎて手が付けられないように感じるけど、
そのベースには共通したアイディアがあって、
そこをまず押えるのが大切だと痛感しております。
その共通したアイディアというのは実はそんなにたくさんはありません。
そして知識として入っているだけではもったいないもの。
実感が伴わないとあまり意味が無いものなのです。

基本的に私はヨガでもなんでもきついものが苦手で、
フィットしているもの、もしくはゆるいものが好き。
でもルーズなものはひどく苦手。
お洋服もルーズなシルエットなものは似合わない。
違いを厳密に定義するのは難しいけど、
同義語にテキトーとかいい加減とかもありますね。
全てどこか日和見的な言葉。

人間関係でのルーズさは時間や約束を守るか否かということだったり、
社会的規範を知るような道を経験したかどうかで見て取れることが多いように思います。
私がインドが好きなのは、時間なんかには超ルーズな癖に、
すごーーーーーく昔からあるルールをがっちり守っている部分があって、
閉塞感とも捉えられるけど、それがどうしようもない魅力にも感じる(時がある)からで。
どんなバランスであってもいい。
ルーズなものがマッチする時あるだろう。
そこにその物・人なりの哲学があればいい。
もし仮にそこに共感できなかったとしても、
いつもの風景に違う目線があることを知る機会、
その作業自体が楽しく感じることが多い。

でも。

ただルーズなだけならいいのだけど、
それが極まってrudeになってしまった物事とは、
残念ながら適切な距離が必要な時期がある。
そういう物事に接していると、波動が粗雑に感じる。
空気が薄すぎて目の前に靄がかかるような感覚というか。
それが続くと私は決まって体調を崩す。
いつも、それをただ耐えていたのだけど、
もうそれを辞めて、心地好いと感じるものだけを、私は自分の責任において選ぶと決めた。

私が、私として心地好く生きた時に、内にも外にも自然な笑顔が生まれると思うのです。