ヨガと哲学って?

ハタヨガ〜呼吸法と集中

なるクラスを始めたからか、ヨーガサットワのシリーズクラスの反響のせいなのか、
クラスに来てくださる方々が
“ヨガの哲学に興味を持ってます。”
と声をかけてくれることが増えました。
なんだかすごーく嬉しい。
哲学というと堅苦しく感じて敬遠してしまいがちですが、
もっとゆるく親しめる環境があってもよいのではないかと思っているからです。

インド六派哲学の中で、ヴェーダンタ・サーンキャ・ヨーガの3つの学派は、
ハタヨガを練習していると話題に上ることが多いですね。
特にヴェーダンタは時代によっていろいろな派が出てくるので混乱しやすいと感じます。

色々分派がありますが、いずれも「私」や「世界」という存在をどう理解したらよいのか、
それをもって、どこに向かえばよいかということを
昔の人たちが喧々諤々しながら体系づけた背景を想像すると萌えるのは私だけでしょうか?
一元論、二元論等、相違点に目がいきがちなのですが、同じものを色々な手段で説明しようとを試みた、その軌跡なり動機がおもしろいと思うのです。

たとえば世界地図を他の国で買うと、その国が中心になっているので私達が見慣れた日本のものとは違うけれど、
同じ世界の地理というものを描いているには変わりない感じというか。
時代的なこともそう。たとえば、伊能忠敬以前の日本地図。

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引用ウェブページ http://www.inopedia.jp/index.asp?patten_cd=12&page_no=344

彼が出てくる前の日本地図は、測量という面での整合性は劣るかもしれないけれど、
それでも日本という国の地理をひとつの紙の上に描こうとしたその心意気は同じ。みたいな。

「何かわからないものを定義づけようとするのは人の不安感の現れ。」
という話が昨日飲み会の席で上がりました。
この世界に生きるということが不安だから、何かしら現象を定義づけることで安心したいと思うのは、
人間の自然な心のはたらきなのかもしれません。
特定の考えに依存するのは後々しんどくなるのだけど、
いくつかの体系づけられた考えを並行して学ぶことで自分にとって好ましいものと、理解しがたいものが分かってくる。
それがその人の根にある思考なり質をあぶりだしていくことにつながるのかなと思っています。

そんなことを考えながら、今日からはウパニシャッド読書週間です。
佐保田先生の本が本棚に増えてきました。地味にデザインが好みです。

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いずれもレトロで洒落乙。