ただ認める

私は、ヨーガのクラスをリードするの中で、

ただ、観察します
ただ、認めていきます

といったような言葉をよく使います。
単純な言葉ですけど、これって結構難しい。

ヨーガを始めた当時、
「ヨーガをしていたら絶対変わるよ」なんて言葉をかけられて、
「そんなちょっとヨガをしたからって簡単に変わるような安い生き方はしてねぇやい」と、
すごくふがふがしていたのですが、
それって、やっぱり私がなにかしらヨーガに期待をしていたからなんだなぁ。
その期待からくる失望に飲み込まれるから怒りが生まれた。

期待をせずに淡々と練習をする。
ヨーガの言葉で言えば修習(アビヤーサ)と離欲(ヴァイラーギャ)ですが、
当時のフラストレーションを内観したときに、
自分の努力を、考えを他者に認めてもらいたいという欲があったのだと思います。
まず自分が自分を正しく把握していないから、意識が外に向いてしまう。
自分で自分を認めればいいだけなのにね。

内観ばかりしてても何も進まないので、
今年の後半は内から得たものを何かしらの形で社会生活で還元していく時期だなーと思っています。
今までとはがらりと眺めが変わるはずです。

「変わるはずだ」という根拠のない期待ではなく、
自主的に選択して進んで来た道を「認める」と出てくる、
今までとこれから5年・10年先の道を模索する作業は、
安穏な場から飛び出す感覚で、
楽ではないし、さみしさも伴うけど、それだけ喜びもあると思いたい。
あれ、これも期待かしら。

やっぱり
「(変な)執着をしない」
に行きつきますね。

普遍的な教えってシンプルだけど、
立ち返るほどに何層にも味が出るもの。
おもしろいなぁ。