意識的に動くことの美しさ

最近またヨーガについての記事を読むことが増えているのですが、ヨガジャーナルのサイトで見つけたこの動画が素敵だなーと思いました。簡易化されたシンプルな太陽礼拝ですが、手先足先まで意識が通っているのがわかります。こういった練習、超好みです。

6年前インヨガのトレーニングを受けていた時に、ビクター先生が言及していたのが練習中の発汗について。

「ぼたぼたとしたたり落ちるような汗のかき方はエネルギーの浪費につながる動き方だよ、身体の表面が水の膜でうっすらおおわれるようなの練習の仕方は、かしこくエネルギー使えているというサインだよ」

うろ覚えですが、こんなようなことを仰っていたように思います。今勉強しているアーユルヴェーダでも運動についての言及があり、おおよそ同様のことを言っていますね。デトックスを目的としたヨーガのセッションでは、大量の発汗が必要になるケースもありますが、必要なものを補給していたとしても、長期間続ければ体も心もカスカスになります。そして、すっきりした感覚を追い続けるので、中毒のようになることも。

ヨーガの目的は人によって様々ですが、どのような目的であれ健康を損なってしまっては元も子もありません。体の隅々まで意識で満たすこと。空間を作ること。そしてそれを通して目の前の物事に個々のあり方で意識的に向きあえるだけの肉体と精神を養うこと。これらの重要性はヨガに限ったことではないでしょう。ごくごくあたりまえのことばかりです。

ミラクルパワーで仲間っぽいものと一緒に、お金と幸せらしいものを生み出している日本のヨーガの業界の中で、上記のような内容はとても地味で面白くないと感じるかもしれません。でも見えないけれどなんとなく気持ちのいい「何か」にとらわれてしまうと、イイことをしている!という自分達の正義に則り行動するので、現実から乖離した状況を生みやすいのです。私もかつてそのような時期があったからなおさらそれを強く感じるのですが、それはヨーガだけでなく、何かしら固有の思想全般に言えるもの。信ずるものに陶酔している人間が集団となったとき、それに興味を持たない人を自分達好みに変えようとする動きが生まれる。本人たちはよきこととしてやっているので、自覚は無い。周囲からしたらまぁ、えらく迷惑な話だと思います。

ほんとにいいものだと思うなら、一人でこつこつ積み重ねればいい。すると自然にそのようにする人が周りに増えてくるでしょうし、増えてこなかったとしても、ほんとにいいものだと「自分が」納得しているならば自分の好きでやってることなので、仲間のあるなしは本来関係ない筈です。自分を、身近な人を大切に扱い、周りを過剰に気にせず、同調しすぎず、都度意識を繊細に巡らせながら、自分の信ずる道を臆することなく歩けばいいだけなんだなーとつくづく思う今日この頃。

まぁそんなこんなで、私事ですが今年の後半から生活スタイルをがらりと変える運びとなりました。詳細は時期が来たらご報告しまーす。

Om namo shivaya